2017年12月29日金曜日

20171229

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波風たつ、としのせ。



どこに波風が立っているかというと、井上とわたしのあいだである。
といっても、そんな深刻なことではないのだけど、なんか井上かわたしかどっちが先かわからないのだけど、コンディションの悪化に伴ってなんとなくかみ合わないなぁという感じになることがときどきある。
ここ数日そんな感じで、そんな感じのことをブログに書くのはどうなんだという気もするのですが、当たり前なことのように思うので少し書こうと思います。

原因とかそういうのはわたしには本当によくわからなくて、でも、そのわからないということが井上にとってつらいのだということはわかる。
でも、このわからないということを、わかったふりをすることができないし、わかったふりをして全部井上に合わせることがいいことだともわたしは思わない。

結婚したばかりのころは、説明なしにイライラをぶつけられたら、それに対してすごく嫌で悲しくて理由を説明してもらわなければ気が済まなかったけど、最近はそうでもないかも。
怒ったりイライラしたりするのは生きていれば当然のことだし、それは悪いことではないと思う。というか、わたしだってなるし。(わたしのほうが……?)

それを受け入れて、わたしが悪かったねごめんねということのほうが楽だけど結局それで何も変わりはしないし、意味がないと思う。
逆に自分が荒れているときにそうしてほしいと思わないし。

なので、わたしはあまり深入りせずいつもどおりいよう、ということに最近決めている。
一緒にいると雰囲気でしんどいときは勝手気ままに好きなとこに避難する。
ばあちゃん家でくだらないテレビなどを観るのも一興です。

経験則的にこういうときにああだこうだ正論を吐いていいことはあまりないように思う。
そもそも井上はだれかに教えてもらったり諭してもらったりして解決するようなタイプではない。
ひとりでじっくりと考えて答えをだす。時間をかけて頭の中を整理していく。
そういう賢さが彼にはある。

そして、わたしにもわたしの考えや自由がある。
井上がぶつけてきたことに対して、無条件でイエスと答える必要はない。わたしはわたしで地に足をつけて立っているのだから。
話し合いはとても大事だけれど建設的でないならしないほうがいいこともある。
正論のぶつけあいに発展したら無駄にお互いが負傷することは目に見えているので。

「相手のことがわからない」ということがとても大切だ。
「相手といて居心地が悪い」ということがとても大切だ。
わかりあえているときより、相手のことをとてもよく考える。そして、相手が自分でないということを再認識する。こういう期間はそのためにあるのかもしれない。

相手を自分だと勘違いしていたら、いびつでまっすぐ立って生きていけない気がする。
井上の愛情が少しでも感じられないと途端に生きていくことさえしんどくなってしまう。
だから、時間をかけて準備をしているのだと思う。
誰かといながら、その人を深く思いながらも、独り立ちの準備は常にしておかなければならない。
そう聞くとなんだか突き放した感じがするけれど、わたしは結婚前よりもずっと井上のことを好きだし信頼している。
信頼できるからそう考えるようになったのだ。

夜、ひとりで自転車で新宮まで行った。
仕事の荷物で、どうしても発送しなければならないものがあったので。

走り出してすぐ、自転車の電気がつかないことに気づく。
でも、いまさら止まれないし、と走り続ける。
急に路面がガタガタの砂利になり、急な坂に乗り上げたと思ったら、下った先にある溝に車輪が思いっきり突っ込み、自転車が縦に半回転くらいしながら、わたしはちょっと宙を舞った。
街灯もない、さびしい道で、思いっきり誰にも見られずこけて、なんだかおかしくなってきた。
ハンドルで打った胸も、膝も、一瞬おいてじんじん痛んだ。
でも、熱くなった顔に夜風がふーっと当たって、それがひんやりと気持ちいい。
しばらく砂利の上に寝っ転がって、痛いような怖いような気持ちいような、不思議な気持ちをかみしめていた。
つらくはないのに涙がすこしだけ出た。

もうひとがんばり、と自転車を走らせる。
突き出していた枝やツルに顔面を叩かれるし、白線も見えなくて、車が来るのが恐ろしかった。
でも、なんだかハイになってくる。
耳元で、ビヨンセが夫をなじっている。
世界一の美女でも夫に浮気されるこの世はせちがらい。
なんだか笑えてくる。
胸が息をするたびにひゅーっとヒューズが落ちるみたいに痛む。
慣れない自転車に太ももが疲れている。
多幸感にも似た気持ち。
これがしあわせでなくてなんだろうと思う、自分の体を全部感じるよろこびだ。

無灯火を警察に怒られたりしながらも新宮で仕事を終え、牛乳や仕事で必要なものを買う。
あまりにものどがかわいたので、ごほうびにカルピスソーダを買って、一気飲み。信じられないほど爽快だった。

そして家に帰る。
仕事の連絡をして、お風呂を沸かす。
そう大事なのは、どんな状況でも、ごはんをつくったり、掃除をしたり、お風呂に入ったりする生活の力なのである。
わかってあげられなくても、受け入れてあげられなくても、できるだけ一緒に眠ってごはんを食べる。ときおり、手に触ってみる。
それを続けていく。
それでいいじゃん、と思うのだ。
そうできないときは、そのとき。またちゃんと自分の頭で考えればいい。

さぁ、そうしてお正月がもうすぐやってくる。
来年が楽しみで仕方ないから、今年にはなんの未練もない。
終わっていない仕事を終わらせて、あとは寝て待つだけ。




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2 件のコメント:

  1. ようこさん、こんにちは(^^)

    二人の間でも波風立つ時があるんですね~。
    どんなに仲が良くても所詮他人・・・そりゃそんな時もあるか・・・(^^;)
    自分のコピーと暮らしていればストレスはないかもしれないけど、
    全ての言動に対して肯定されていたら、それはそれでつまらない生活になってしまうか・・・。

    自分の場合年々嫁の気持ちが分からなくなってるような気がするけど・・・苦笑
                    たかのん

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  2. たかのんさん、こんばんは!そしておひさしぶりです。

    波風!立ちますとも~意外ですか?(笑)
    でもきっと、波風のない夫婦のなんていないし、いるとしたら、やっぱりちょっとつまんないでしょうね。
    わからなくなったり、ちょっとわかったりしていけたらいいですね。

    お子さんがいるとまたちがうだろうな。
    そこの意見のくいちがいはスルーできないですしね。

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